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細木数子の旦那や子供について!年収や全盛期の活躍を振り返ってみた

タレントで占い師の細木数子さんといえば、六星占術師として、一時代を築かれましたね。2021年11月8日に享年83歳でお亡くなりになった際は、養女の細木かおりさんがメディアに登場し、話題になっていました。『ズバリ言うわよ!』『幸せって何だっけ』など数々のテレビ番組に出演し、歯に衣着せぬ物言いでブレイクした、細木数子さん。プライベートはあまり知られていませんが、旦那について気になっている人も多いでしょう。今回は、細木数子さんの旦那さんについて、調査しました。

細木数子の旦那は?

細木数子さんの旦那さんが誰なのか、気になりますよね。細木数子さんの旦那さんは、昭和最大の黒幕と称された安岡正篤氏。実は波乱万丈な人生の中で二度の結婚を経験しており、最初の結婚は1963年で、相手は静岡県にある眼鏡店の後継者でした。しかし、この結婚はわずか3か月で終わってしまったのです。次に結婚したのが、日本の政治思想家であり陽明学者の安岡正篤さんです。当時、細木数子さんは銀座のクラブママで、お客さんとして安岡正篤氏と出会ったようですね。40歳もの年齢差があった2人の結婚は、当時世間に大きな衝撃を与えました。安岡正篤氏は、日本の政治や思想に多大な影響を与え、歴代の総理大臣が師と仰いだ人物。戦前から私塾を主宰し、吉田茂、佐藤栄作、岸信介といった名だたる政治家たちに帝王学を説きました。政財界や皇室からも頼りにされるほどの、大物だったのです。

婚姻無効へ

1983年、45歳だった細木数子さんと、85歳だった安岡正篤さんは、運命的な出会いを果たします。細木数子さんは安岡正篤氏が酒に弱いことを見抜いており、家族に反対されながらも好きなだけ酒を飲ませて判断力を奪ったとか。後に「お酒で”殺した”のよ」と語っており、巧妙な手口で「結婚誓約書」を作成させたことを明かしています。安岡正篤氏は認知症の症状が出始めていましたが、細木数子さんは誓約書を根拠に婚姻届を提出。安岡家の親族は猛反発し、婚姻無効の調停を申し立てます。安岡正篤氏は調停の翌月に他界してしまい、結果として、婚姻はなかったことになりました。この一連の騒動は、安岡正篤氏の財産目的、と批判されたようです。

細木数子の子供について

細木数子さんには、実子がいません。娘の細木かおりさんは、妹の娘ということで、血縁関係としては姪っ子になりますね。かおりさんは幼少期から細木数子さんに可愛がられており、現在は六星占術の後継者として活動しています。実母はシングルマザーで、母子家庭での苦労があったため、細木数子さんが同居を提案。一緒に暮らしていた時期があったそうです。かおりさんが3歳の頃には、細木数子さんが「養女にしてはどうか」と提案し、最終的にかおりさんが38歳のころに養子縁組が成立しました。

養女が後継者に

最初に後継者になってくれと頼まれたときは、即座に断ったというかおりさん。しかし、細木数子さんのマネージャーとして働くうちに、占いで人々が救われている姿を目の当たりにし、次第に心境が変わっていったそうです。「自分が継承を断ったら、数子さんの人生の成果が途絶えてしまう」と悩み、35歳で後継者になることを決意。2018年に六星占術を正式に継承しました。細木和子さんの『女性の幸せは、早く結婚して家庭を持つこと』という教えのもと、かおりさんは14歳のときに初めてのお見合いを経験しました。中学3年生の時に大学生だった現在の夫と出会い、19歳で結婚。長男、長女、次女の3人の子供を授かっています。

細木数子の年収は?

細木数子さんの年収は、いったいいくらだったのでしょうか。2000年代前半、『六星』は爆発的にヒットし、本の売り上げで、毎年ハワイやラスベガスへ社員旅行に行っていたという、細木数子さん。『細木数子の六星占術によるあなたの運命』シリーズは累計1億部を超え、ギネス記録にもなりました。2004年から『ズバリ言うわよ!』『幸せって何だっけ』と、2本のレギュラー番組が始まり大ヒットに。「私のテレビのギャラは1時間400万円」と語っており、かなりの額を稼いでいたことが分かります。六星占術の携帯サイトには100万人の会員がいて、毎月3億円近い収入が・・・。講演や勉強会、テレビのギャラなどすべてを合わせると、最盛期は年収30億円はあったと言われています。

実業家として手腕を発揮

細木数子さんは「占い師」という枠を超え、複数の金脈を持つ実業家としても知られています。“ 運を売る ” という視点で作られた手帳やカレンダーは年末商戦の常連で、京都・右京区梅ヶ畑猪ノ尻町には700坪の大豪邸を建設。不動産価値として、およそ10~12億円規模と推定されます。その遺産は養女の細木かおりさんが中心となり、計画的に承継されました。

細木数子の全盛期の活躍を振り返ってみた

細木数子さんは東京・渋谷に生まれ、その美貌で16歳のころにはミス渋谷に選ばれています。「ポニー」というスタンドコーヒーの店を開き、売却した資金をもとに、新橋のガード近くにクラブ「潤」をオープン。翌年には売却し、銀座にクラブ「かずさ」をオープンさせます。若いころから飲食店の仕事を行い、1975年に4億円の負債を抱えた島倉千代子さんの後見人としてこれを解決したことで、六星占術の創始者として占い師のキャリアもスタートさせました。1977年、芸能プロダクション「ミュージック・オフィス」を設立し、島倉千代子さんの作詞も手掛けるように。独自の研究で編み出し“六星占術”に関する本を出版し、『運命を読む六星占術入門』がベストセラーとなります。1990年代は表立った活動を避けていましたが、大殺界の時期だったからと明かしています。

テレビ番組で活躍

その後、2003年ごろから人生相談を行う特別番組が高視聴率を挙げるようになったことから、各局で多くのレギュラー番組を持つように。「視聴率の女王」と呼ばれるようになりました。熟女タレントの代表的存在となり、『ズバリ言うわよ!』『幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜』と、2本のレギュラー番組が始まります。態度の悪い一般人、芸能人に対して容赦なくスパルタ指導する姿が、人気を集めていましたね。タレントなどに対して改名を促すことも話題となり、モンキッキー(現・おさる)やハッピハッピー。(現・コアラ)などが挙げられます。その後、「テレビの仕事の充電期間を設けたい」「本業の仕事に専念する」という理由により、2008年3月をもってテレビでのレギュラー出演を終了させています。2021年には、呼吸不全のため、東京都内の自宅でこの世を去りました。

まとめ

今回は、細木数子さんの旦那さんについて、紹介しました。細木数子さんの旦那は昭和最大の黒幕と称された安岡正篤さんで、のちに婚姻無効として籍を抜いています。実子はおらず、姪の細木かおりさんを養女にし、後継者としていたようですね。全盛期の年収は30億円とも言われており、その資産はかおりさんによって継承されています。